久しぶりの貸切営業
2020年10月17日(土)
6時起床。
しかしカミサンはとっくに起きてくれていて、長女と次女のお弁当をこしらえてくれていた。ありがとう。
ランチ。
これ以上ないほどの「ベストな」営業。あと1組のご来店で夫婦揃ってパンクする、みたいなひたすら「ちょーどイイ」感じにお仕事が出来ました。ありがとうございました。
初めてのご来店というお客様も多かったので、接客の時間も取れてよかった。
夜は久しぶりの貸切営業。「コロナ禍」といわれるようになってからは多分初めて。
というか、今年は2月までずっとお店は改装工事で、リニューアルオープンと同時にコロナだったから、これが今年初めての貸切営業という事になる。あけましておめでとう!
しかし浮かないのはカミサン。
そもそも「団体様」や「貸切営業」の正解がわからない。どうやったらお客様に喜んでもらえるのか?
カミサンはいつもいつもアタマを悩ませている。
結局は倒産してしまったのだが、神戸時代、俺も少しばかり「稼いだ」という時期があった。
それは「結婚式の二次会」を商売の軸にしていた時で、カミサンが悩んで止まないその「団体様の貸切」を売りまくっていた頃だ。
今思えば、俺がやっていたのは飲食業でいうところの営業ではなく、「貸切という商品」を売る「営業」。
普段のお店の営業はあくまで「顔見世」であって、メインの稼ぎどころは「結婚式の二次会」だった。
通常営業の売上には限界がある。
それならデカく稼げる「団体」「貸切」、それをバンバン取って来たらエエ。みたいなね。
バーテンダーはクチが上手い、ではなくてゼロから100まで全て自分やって来てたからこそ、その営業の成約率はなかなか高かったと思う。
というのも、全ての経費や予算はわかっているし、その上で現場にも入るから「ここをこうすれば予算は関係なくイイ二次会が出来る」とわかっている自信もあった。
下見に来られたお客様に「じゃあコチラのお店でお願いする事にします!」と言われた時、心から「おまかせ下さい!」とも思っていたし。
絶好調で稼いでいた。
が、俺はその「営業」を止める。
そして、そこから一気に倒産に向かって進んで行くのだがそれはまた別のお話・・・。
カミサンには申し訳ないが、その「アタマを悩ませる」というのはビジネスパートナーとしては非常に有り難い。感謝感謝だ。
俺は「団体」「貸切」を売っていたが、カミサンはちゃんと「ピザ」や「パスタ」を売ってくれている。
「このパーティなら、どんなお料理だったら喜んでもらえるだろうか」と職人としての矜持を持って仕事をしてくれる。
そして今日はついにカミサンが思いついたアイディアが上手くハマり、コチラのオペレーションはスムーズに行くしお客様は楽しそうだしで、久しぶりだったのに誰もが満足度の高い貸切だったんじゃないかと思われる。
みなさんに喜んでもらえたと、島根に帰って来てからの「貸切営業」ではなかなか感じられない喜びがあった。
あの店に行って学んだ事、この店に行って学んだ事。
島根に帰って10年。カミサンといろんな所に勉強に行った事が徐々に徐々に実を結んで来ているのがわかるような今日の貸切だった。
しかし。
カミサンは頑張ってくれた、だったら俺の方は何をするか。俺もなにかK.U.F.U.をするか、再び「鬼の営業」を仕掛けるか・・・
そんなことを考えていると三女から「ぱぱ〜!ワタシ、とおりみちの『チョコバナナマシュマロピザ』っていうの食べて見たいのよね〜!」
というので作ってやった。「むちゃくちゃ美味しそう〜〜〜!」。
たしかに、その鼻の穴に全て吸い込まれて行きそうだな。
このあと、チョコバナナピザの最後の一つをどちらが食べるかで次女と三女の戦争。
こういう時は「余裕の無いほうが負ける」というのは歴史が証明しているのだが・・・
案の定「じゃあワタシは別のアイス食べるわ!残ったそれ、リコちゃんにあげる〜」と、とっとと冷凍庫に向かいアイスの実を食べ始める三女(S社長に買ってもらったモノ)。
泣き出す次女。
勝ったはずが負けている。次女本人もどうして涙が止まらないのかわからん様子だが、パパなんとなくわかるよその気持ち。あっさりと次に行けるヤツって、なんか自分の「思い」をバカにされてるようなきがするもんな。でも違うんだぞ。
気づきの多い一日だった。
なるほど・・・。
「三姉妹のために」ちょうどよく作ったのに、足りなかったのはこのせいか・・・。