だいじょうぶだぁ、って言ってくれよ
2020年3月30日(月)
本日は営業お休み。
朝、美郷町の奥の奥の方に行く用事があった。それならば「だったらその途中にあるプールにでも娘らを連れて行ってやるか」と一瞬アタマをよぎったのだが、どうにも気分がノらなくてやめておいた。新型コロナウィルスの事考えたら、こないだのプールもやっぱり良くなかったと思うし。
昼前に戻ると、カミサンから「ニュース見た?」。いや見てないよ、だってずっと運転してたし。「あぁ、だいぶイヤなニュースがあるよ・・・」。
いつか今の時代を振り返った時、「コロナ前、コロナ後」みたいに分けることが出来るんじゃないかと思っている。みたいな話をカウンターでしていたが、そんな客観的な事ももう考えられない。「志村けんがいた時代、いなくなった時代」があるだけ。
志村けんが音楽評論の道でも素晴らしい能力を発揮してて、プリンスやスティービー・ワンダーがアルバムを出す度にとんでもない美しい文章のレビューを書いていたのを読んだ事がある。ここの駄文と違い、音楽への愛に満ち溢れた文章を。
今から3年ほど前、三女の保育園の卒園前の余興を父兄でする事になって、そこで「ドリフの早口言葉」のパロディを企画した。
BGMにもこだわりたいからと、『8時だよ!』で使っていた「生麦生米なまたまご〜」の音源を掘っているウチに、一世風靡したあのヒゲダンスのBGMは志村けん自身が選曲サンプリングしたと知ってめちゃくちゃに驚いた。
それからネットで調べるとたくさんの志村けんが残したブラックミュージック評が次々見つかり、こんなにも音楽愛のある、そしてさらに文章化できる人だったのかと感動したのを覚えている。まぁそもそもドリフターズはバンドだし、それにあの頃1万人以上は押し寄せていただろう「ドリフのボーヤ志望」たちを蹴散らしてその頂点に立ったのだから、志村けんというのは稀代の表現者であるのは間違いないのだが。
お笑いに関してはいうまでもない。テレビっ子でお笑い大好きな小学生の俺が土曜のお昼のよしもと新喜劇にハマれなかったのは、「だって夜の8時にもっと面白いショーがあるし」。
絶対にこんな最期を迎えてはならない人だったと思う。幸せな最期というものが本当にあるかどうかはしらないが、あれほど世の中を笑顔にしたあの人にはその権利が絶対にあったはずなのに。
掃除や仕込みをしていたらあっという間に夕方だった。結局「休めた〜」という感じにはならなかったが、そんな事よりこの喪失感。
夜はいとこが帰ってきたのでお披露目を兼ね、初めて家族みんなで改装した個室で食事。
なるほど、このくらいの人数は入られるのだな。そのほかにも「使ってみないとわからない」って事をたくさん知れた。
明日からは衛生に厳しくいく。「優しさ」こそが全てで最強だと思うけど、ウィルスには容赦しない全て殺す。許さない。