痛み止め論
2022年2月10日(木)
朝、チャーハン&唐揚げ弁当。男子高校生なら喜んでくれそうなんだが、長女にはうっとおしい弁当だったかもしれない。
今日は週イチのリハビリの日。リハビリの先生からは「またガッチガチになってますね・・・」と言われる。
もっと痛み止めを飲んだ方がイイようだ。
痛いから動かせないでいるのだが、そのせいでまた筋肉やらが膠着してしまうらしい。我慢せずに痛み止めを飲んで、できるだけ普通の生活をするように言われた。夜中痛みで起きてしまうのなら、寝る前にも飲んだ方がイイとも。
でも痛み止めを飲むのって、なんとなく気が引けるんだよなぁ。なんでだろうか。
胃が荒れるとか、慣れてしまってどんどん強いクスリになってしまうとか、色々と理由はあるが、俺のなかにまだどこか「苦労信仰」みたいなモノがあるような気がする。
「苦労した方が偉い」とか「苦労しないと幸せになれない」とか、そんな強迫観念みたいなモノ。
アホらしい考え方だな〜と分かっているが、幾分そんな考え方を持っているんだろうと思う。
自分だけがそう思うならまだしも、たまに「アイツは楽してずるい」とか思っちゃう時があったりするもの。別に誰かが楽してても俺の損にはならないのに。
なにかに向けて努力するのは素晴らしいが、ただひたすら「苦しんでいるだけ」「悩んでいるだけ」というのはそれは話が違う。継母や義理の姉にいじめられつつお部屋の掃除していたら、なんだか魔法使いのおばあさんがやってきてドレスやら馬車やらをくれて王子様と幸せになるってのは、ありゃあウソだ。
改善させたい事象があるなら、今までとは違うやり方を。ひどい環境で苦しんでいるのなら、まずはそこから離れる選択を。
ただ耐えているだけじゃあ疲弊するだけ、屋根裏部屋でずっと過ごすしかない。
「変わる」というのは億劫だし恐いし勇気がいる。失敗したらもっと継母からいじめられる可能性もあるかもしれない。
でもまた別の方法を探してやるんだよ。
営業後、学校生活にお悩み中の次女とそんなお話。
たとえ次女が「チャレンジに失敗した・・・」と思ったとしても、「もう一回やってみっか」と思えるための土台たりえるような我が家でありたい。
チャレンジは自分でするしかないが、せめて安心して気力も体力も回復できる場所を作りたい。
土台が頼りなけりゃあ話にならん。ロキソニン飲んで早く寝て、一刻も早くこの四十肩を治したいと思った。
今日はクリエイティブSさんが店内に新しく飾る黒板を書いてきてくれた。まさに次女に贈りたい言葉ドンピシャ。今回はスペルミスもありませんでした。