姫路め〜(姫路は悪くない)

   

2018年11月15日(木)

仕事中カミサンが「姫路のサーカスを思い出した・・・」とボソっとつぶやいた。

 

あれは神戸時代、俺のお店は倒産直前。長女は2歳、俺は29で、カミサンは28歳だったかな。

勢いで始めたフレンチレストランは、マジメにやればやるほど赤字を出し、住んでたアパートの家賃払うのが精一杯で、カミサンには全く家計を渡せていなかった。

 

ある日、どこからかカミサンが「木下大サーカス、姫路公演」のチケットを家族分もらってきた。結婚してからずっと貧乏で、一切の娯楽やエンターテイメントみたいなものを長女に経験させてやった事がなかった。長女にサーカス観せてやれるのが俺もカミサンも嬉しくて、3人で電車に乗って姫路のサーカスに向かった。

 

駅からは姫路城、そしてその手前の公園にサーカスの大きなテントがあった。長女にライオンやピエロや曲芸を観せてやれるのが嬉しくて、3人で仲良くそのテントに向かって歩いた。

でも、そんな風に楽しく歩いている時でさえも、その上手くいってないレストランの事が頭から離れてくれない。めちゃくちゃ楽しくても「あ、こりゃ夢だわ」と気づいているようなあの感覚。楽しいはずの瞬間さえも常に「支払い」がつきまとい、夢も希望も見れない。

 

嬉しい時や楽しい時だって貧乏しながらもあるにはあったが、でも支払いに追われる現実の方があまりに辛くそれでいてリアル。どんな楽しい事も打ち消してしまうのが貧乏というものだ。

 

「このままじゃあ娘にも辛い人生を遅らせてしまう」みたいに思いながらサーカスのテントに着いた。たくさん人がいて、やっぱり似たような親子連れが多かったような覚えがある。たぶん、俺達が一番お金が無かったんだろうけど。

でもそんなひねくれてるのは俺だけで、カミサンはずっと嬉しそうにしてくれていた。サーカスの途中にある雑貨屋さんやお土産屋さんに立ち寄りながら、俺は雑貨なんて買える余裕はないんだからと気まずくてすぐにお店の外にでてしまうのだけれど、カミサンはずっと楽しそうだった。

その直後、サーカスの入場門で、カミサンのカバンにチケットが入っていない事に気づくまでは。

 

長女にサーカスを観せてやれない。
入場券を買うとなると家族3人で¥8000。その頃の俺たちにとってはとても厳しい金額だった。カミサンは「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣いているのだが、そのぐらいのお金も家に入れられてない俺が悪いんだ。カミサンが謝ることじゃないんだ。

なんでカミサンが泣いているんだ、稼いで無い俺が悪いのに。金が無い事でイヤな思いをするんなら、稼いでいない俺niに罰を与えてくれよ。どうして神様はカミサンに辛い思いをさせるんだよ。ちくしょう、クソったれ・・・。

 

結局、カミサンが大事に残しておいてくれた家計でチケットを買う事に決め、家族3人でサーカスを観る事ができた。道中で頭から離れなかった商売の事も忘れ、3人で楽しくサーカスを観る事が出来た。ライオンもピエロも、今でも鮮明に思い出せる。

たまに古傷が痛む事がある。若い頃は忘れたくて逃れたくてな思い出だったけど、今振り返ればその古傷も、俺と一緒に成長してくれた仲間なんだなとわかる。経営者として父親として、二度と家族を路頭に迷わすようなマネはせん。

なんか、そんな事を思い出させてくれる一日だった。


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