不登校について
2022年8月24日(水)
飲みすぎた、アタマが痛い。
昨夜は次女と楽しくダンスしたり、今年の甲子園の解説したりしていた21時ごろ。当然のようにS社長からお電話があり、また午前様。
今年は入用が嵩む。
「メイクマネーするんだ」、という強い気持ちでハイボールを飲ったつもりだったのだが、朝にカウンターを片付けようとするとS社長のブランデーは空だし、他にもウォッカもあるわ、ダークラムもある。
俺は頭痛で済んだが、あの人大丈夫かしらね。
朝、三女とカミサンと一緒に小学校へ。
ついに、ちゃんと「転校」である。
三女本人はずいぶんと悩んでいたのだが、背中を押すのも親の役目。
親としては自分の口から「正式に市木小学校に通います」と言って欲しかったのだが、三女としては今まで通っていた方の小学校のお友達を見捨てるような気がしてしまうらしい。
そんな事はないし、以前まで通っていた小学校も「これからも全く変わりなくココに立ち寄ってね」とおっしゃってくれた。
三女だけでなく我々夫婦も悩みながら、えいやっと正式な手続きを踏み、明日からは市木小学校の児童である。
面談が終わってから三女も一緒に広島に仕入れへ。
市木小学校からは広島に行きやすいんだよね。
今日はコストコも空いていた。三女もスッキリした様子。
仕入れの合間。
食事をしたところで「ゲーム1回無料券」みたいなものをもらったので、三女ゲームセンターでレース。写真撮ろうとしてる間に亀の甲羅やバナナの皮など投げつけられて、ボロ負けしてしまった。
とても楽しかった。
ペットショップ見たりも。子猫や子犬を見ていると「アサリとシジミに会いたくなった」と、ウチの猫の事を思い出したらしい。
わかるよ。
よその赤ちゃん見るたびに、お前たちが小さかった頃のことを思い出すもの。
教育委員会さんにも校長先生にもお伝えしたのだが、三女の不登校はぜひとも「サンプル」にしていただきたい。
いまはまだまだ不安定であるし「どこであれ、学校というのは好きじゃない」という三女だが、なんとかかんとか学校に通っている事実がある。
本人の頑張りもあっただろうが、邑南町教育委員会、そして石見東小学校と市木小学校の全ての関係者の方々のおかげで、一応は真っ暗闇のトンネルから抜け出せたのだ。
不登校というのは、ゴールが見えない。
いついつまで歯を食いしばれば、そうすれば解決しますとわかる日付があればいいのだが、子供の不登校には終わりが見えない。
親にしてみれば「もしかしたらこのまま家に引きこもり続けるのではないだろうか?」、そんな見えない不安が延々と続く。
毎朝、三女を送り届ける市木小学校への道中に実際にある長いトンネルは、まさに我々夫婦の悩みを表すものだった(注記:カミサンは「ワタシ、別にそんな事思ってないけど?」との事でした。お詫びして訂正いたします)。
もちろん、1番辛いのは学校に行けない本人だ。
だが、保護者だって辛いというのは俺は身を持って承知している。
本人も親も「何をやってもダメだった」と、自分を責めたり社会を恨んだりするのもよくわかる。
だから、今回邑南町の教育に携わる全ての人がとってくれた我々家族に対するアクションが、今もずっと悩み続けている人たちへのなんらかのヒントになれればと思って止まない。
全く同じようにやって不登校が解決するとは限らないが、何かのきっかけになれればと心から願うのだ。
教育委員会さんから転校の手続きのペーパーをもらったとき、「転校の理由」という項目があった。基本的には「引っ越し」と書くところらしい。
俺は普段ならそういった事は別にテキトー書いて提出してしまうのだが、もし同じように悩まれている人に役立てる事があるかもしれないと、真剣に書いた。
「善き前例」となれるように、ちゃんと書いた。
まぁ、いつまた学校に行けなくなるかはわからないのだが、ひとまず一歩踏み出せました事。
本日はそんなお知らせでございました。
明日は一日、仕込みと片付け頑張ります〜。