境
2025年11月25日(火)
午前5時半、発作。
あと1時間遅く来てくれたら次女の弁当が作れたのに⋯と思っていたが、40分ほどで治まってくれたので弁当は間に合った。
もう弁当も残り何回かしか作れない。
9時ころから、下水道工事の最終段階の打ち合わせ。
地面を掘るたび、新たな問題が出て来て堪える。もう50年以上も前の建物なので仕方ない。じいさんもオフクロも、まさか俺が店を継ぐとは思ってなかっただろうし。
10時、発作。
打ち合わせの途中だが、中座。発作が出た。
早く終わらせなければと強い方のクスリをやったが、よく覚えていない。
ようやく治まったころに中学校から連絡があり、三女も頭痛でしんどいそうで、カミサンに迎えに行ってもらった。
昼過ぎ。
電気工事も始まった。
地中に埋めるポンプ用の電源が必要らしく、そのための工事。
この家も、ツギハギツギハギでかわいそうに思えてきた。が、その全てが俺達家族の歴史なんだよな。誇りに思おう。
その後、駐車場の片付けをしているとまた発作が始まった。
しかしこの発作が今までとは段違いの痛みで、これまではその痛みに負けて「もういっそ殺してくれ」と願っていたのに、今回は始めて「あ、コレってもしかして死ぬかも」という激痛。
「殺してくれ」の時とは違い、痛みに「恐怖」がプラスされる。
右の眼球は今まさに破裂しそうで、それまでこめかみに打ち込まれ続けていた五寸釘は運動会やお祭りで地面に突き刺して使う打込棒に代わった。
世の中には、「子供が群発頭痛で苦しんでいる」というご家庭もあるだろう。
そんなお家の親はからすれば、俺なんてきっと「むしろ羨ましい」方だと思う。もし我が子がこの病気なら、絶対に「代われるものなら代わってやりたい」と願っているだろうから。
だから、娘たちにでは無くて俺がこの病気で本当に良かったと思っている。
が、「これは死ぬかも」とよぎってからは意識は次の段階へ移る。
よく言われる「もっとああしておけば良かった、こうしておけば良かった」というのは無く、「とにかく家族にこれだけは伝えておかなければ」と最期の言葉を発したい。
なんとか発したいが、痛みからの絶叫と嗚咽で言葉は出ない。
とにかくうめき散らしているのが俺の全てで、うめきながら今テレビのスイッチが切れるようにプツンと目の前が暗くなってそれで終わる。3秒以内に繰り返す気絶と激痛。
中学生の時も1度意識を失い境を彷徨った瞬間があったが、そういえばあの時は「母ちゃん、ごめんな」だったな。
カミサンが横で背中をさすってくれて、絶望のなかにあっても孤独では無かったのが救いだった。発作は1時間ほどだったと思う。
「あと1年半ほど。三女が中学校を卒業して、落ち着いた新生活を送れるようになるまで、どうかそれまで家族が悲しまないように生かしてください」と、願ったが、悪魔との契約でなければイイけど。
瀬戸際を疑似体験させてもらい、人生の時間の期限が身に沁みた。やるべき事は、俺がいなくなっても家族が安心して過ごせる段取り。
それは当然「生命保険」などの類ではなく、娘たちにはむしろそんなモノがなくても生きて行ける気概や工夫や前向きさ。それを無理せず自然なカタチで身につけて行ってほしい。
そしてカミサンには、俺がいなくなってももうしばらくは他のスタッフたちとのんびりゆっくり、自分のペースでお店を楽しんでほしい。
できれば1年半とはいわず、そのあと10倍くらいは俺もモチロン楽しんで生きたいと思うけど。








