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2017-02-05

選択肢

2017年2月4日(土)

DETOX(デトックス)=体内に溜まった毒物を排出させる事。

 

朝6時半、長女と次女はバレーボールの大会。集合場所へ送っていったが、出発までのお見送り時間の寒いこと寒いこと・・・。たかだか10分ほどの時間とはいえ、氷点下。だが子供たちはみんな元気、バレーボール楽しんで来てくれぃ。

 

ランチタイム、8割方のお客様がファミリーでのご利用。ありがとうございます。カミサンは俺が子供たちを送る1時間前には起きてお弁当を作っていたわけで、12時過ぎにはすでに疲労困憊の様子だった。「アボカドとレンコンのピザ」。今日は一日ずっとこればかりを焼き続けた。重なる時は重なる。

 

ふとした瞬間、駐車場を見てしまった。ウチの駐車場にタバコをポイ捨て足で消し、そのままクルマに乗り込む若者。しかもウチのお客様では無いようだ。ほう、これはこれは・・・。

 

しばらく前によく聞いた「断捨離」。持ち物を減らしシンプルで清潔感のある空間で生活しましょう、みたいな考え方。カミサンも常に「もっと整理整頓したお家にするぞ!」と頑張っているが、これがなかなか難しい。

物質的な事ならばまだ出来るかもしれん。いらない服や家具を処分したり、新しく購入せずに直して使ったり。

しかし、精神的な「断捨離」ならばどうか?

 

每日每日いろんな事を考える。楽しい事だけならイイけれど、むしろ逆の事ばかり。俺はネガティブな感情に囚われやすく、喜怒哀楽がゴチャゴチャしてて息苦しい。

そこで一週間前から「喜怒哀楽の『怒』だけをなんとか捨ててみる」という人体実験に取り組んでみた。いかなる理不尽を被っても怒らないでいる、という実験。

「怒」も毒、デトックスした方がイイはずだ。ただ俺の場合は何事も「たとえ三日坊主でもやらないよりは全然マシ」という考え方、なので途中で止めてもそれは良しとする方針で。

 

とにかく「怒る」という選択肢を排除してみた。何かイヤな事があるとその事によって「相手のせいで自分が怒らされた」と感じていたが、結局「怒り」という感情を選んでいるのは自分であるのだから、その「怒りという選択肢」自体を無くすという発想で過ごす。

チラチラと「怒り」の選択肢が浮かぶ事もあったが、それでも一週間なんとか過ごせた。怒りを我慢するとストレスが溜まるかと思ったが、どちらかと言うと「うわぁ〜、さっき怒らなくて良かったぁ〜。あぶね〜」という風に、むしろホッとする事ばかりだった。

 

さて、駐車場に向かおう。お客様でもなけりゃ、タバコをポイ捨てされている。これは理不尽であるし、これなら「怒り」の選択肢を選んでも、さほど非難もされないように思われる。

 

しかし何事も「継続する事が大切」だ。カズやイチローのように、練習に練習を重ねた努力の人だけが見れる高み。俺も每日每日「『怒り』を捨て続ける」努力を重ねれば、たどり着ける境地があるはずだ。そしてそれを見てみたい。

クルマに乗ってる若者に「おにいさん、タバコ拾いな」とだけ伝えお帰り願った。「すいません!気をつけます!」と言っていたが、今それはどうでもイイ、知らん。今後タバコを捨てするか捨てないかはキミの問題であり、今こっちは「怒りを選ばない」という大問題と闘っているんだ。去ね。

 

キッチンに戻りカミサンに「ワタクシ、怒りませんでした!」と勇んで報告してみたが、「怒ったか怒ってないかと言うと、それはビミョー。まだまだやね」との判定を頂いた。はい、そうですね。

でもまだ始めたばっかりだ、コツコツ頑張って「喜んで楽しんでばかりの怒らない人生」を送れるようになりたいと思います。1週間がんばったから、次は10日間を目指そう。

 

健さんだったら、何も言わずにタバコを自分で拾って捨てたんかなぁ〜。それが出来たらカッコイイんだけどなぁ〜。


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