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2016-07-11

『タタール人の砂漠』は身の毛もよだつ

2016年7月11日(月)

3日ほどかかって読み終わり、『タタール人の砂漠』。

普段、新書などで「スピード感のある情報」ばかりを欲しがるクセがついてしまっているのか、純文学的なこの本は読み始めは少々かったるく感じたが、それも30ページほどで終わる。あとはひたすら薄っすらと恐怖が続き、これ以上読みたくないような、しかしこの本から逃げればこの主人公ドローゴと同じような人生を辿るのではないかという強迫観念でちびちびと読んだ。あまりにキレイな文章で、イタリア語で読んだらもっと恐ろしく感じたんだろうな。ただ、これはホラーというワケでは無い。そんなものよりもっと恐ろしい。

主人公も最初は抗った。しかし「このままではダメだ!」と思いながら続けてしまった習慣をズルズルと続けているウチに「いや、これにも意味はあるんだ」などと自分に都合のイイ理由をつけて、その習慣や考え方と共に人生を送るとどうなるか?まあ、言うまでもないけれど。でもそう言いながら俺も今年40歳だ。

かつて岡本太郎は「人生は積み重ねではなく『積み捨て』だ」と言った。過去の栄光や賞賛に囚われる事無く、今この現在にスポットライトをあて瞬間瞬間を精一杯生きるのだ、と。もちろん俺も身につまされる・・・。

谷の向こうから新人将校に声をかけられるシーン。読者は「あ、もう取り返しがつかないんだ」と時間の流れを感じさせられるが、あれはこの田舎に暮らして6年半の俺でも実は何度となく体験した場面だ。

カイゼンもしてるし、日々成長してるはずだと思ってる人こそ一回読んで絶望するとイイと思う。他人の(自分のでもある)人生を3日で読ませてくれるなら、時間も本代も安いもんだぜ。

ランチはのんびり営業で常連様のT先輩とダラダラトーク。映画や野球など、まさに喫茶店な時間が流れた。

夜は長女のダンスレッスンの付き添いで、カミサン抜きでの営業。初めてのご来店というお客様から「え?一人で営業されてるんですか?」とご心配いただいたが、今夜は一人でも全然余裕な有様であった。

ちょっと売上イイからと余裕こいたらこんなもの。去年より少しお客様が増えたからといって、やはり去年と同じことをしていてはドローゴと同じ目に遭うんだろうな。


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