同じ轍
2016年5月19日(木)
本日もご予約、団体様ありがとうございました。喫茶店としてやってる「とおりみち」ですが、こうやってお料理に好評をいただきご予約いただけることにはとてもありがたく思っております。でも、ふらりとコーヒー飲みにだけでも嬉しいから、みんな来てね。
というわけで、今夜もなかなか忙しい。カミサンは午前中の時点ですでに体力を失っているようにも見えたが、なんとか最後まで頑張ってくれた。
娘達も自分たちで夕食を作る。
長女と次女、二人自らお好み焼きを焼いてくれた。よく見ると、長女はフォークとナイフでお好み焼きたべてるな・・・。育ちの良さがこぼれ落ちとるよ。
そんな感じで子供らは放っておいてしまったのだが、21時、次女がキッチンへ来て「音読・・・」と。もう寝る時間なのだが、ママがいつまで経ってもリビングに上がって来ないので、「保護者に聴いてもらう」という音読の宿題ができていなかった。これでは次女は寝るに寝れない。
「ここで聴くよ」と次女にはキッチンの横で音読をするように言った。しかし我々夫婦はまだまだ忙しくしており、カミサンはパスタ、俺はピザを作りながら次女が音読するのを聴いた。ちゃんと聴いていたつもりではいるが、でも次女にはどんな風に映っただろうか。
少し前「いつまでこんな日が続くの?」と、夜一緒に居れない事への寂しさを訴えたのがこの次女。かつて俺も次女と同様、こんな風に育った。しかしその頃は今よりももっと劣悪な環境で、ここ「とおりみち」は毎晩酔っ払ったジイさん達が大声でカラオケを歌っているスナックだった。そしてお客様では無い、自分の祖父がさらに酒乱で家族に暴力を振るうというのが毎夜。
だからこそ、「自分が子供を持つようになったなら、絶対にそうはさせない」と思っていたはずなのに、結局同じ轍を踏んでいる。どうしたら良いのか、袋小路だ。ずっと親に反発していたが、当時もこうやって悩んでくれてたのかと思うと非常に申し訳なく思う。
なにか方法があるはずなんだが・・・。