月の爆撃機でも
2016年3月23日(水)
元々、この「とおりみち」というお店はスナックであった。
バブル真っ盛り。デカい公共事業のおかげでこの町に流入される外貨ロンダリング窓口として、俺のオフクロは「スナックのママ」という仕事でずいぶん稼いでくれていた。
オヤジの稼ぎももちろんだが、おかげで俺も妹も高校から私立の学校に行かせてもらうことが出来た。
しかし、幼い頃は俺も妹もずいぶん寂しい思いをしたものだった。二人共に祖母に育ててもらったようなもので、オフクロは忙しい、そしてお店には酔っぱらいがいっぱい、それが家族の為の仕事とはわかるわけもなく、俺と妹はとにかく「お店」というものは大嫌いであった。
今になれば、当時30歳そこそこのオフクロが「とにかくお金を稼がなければ」という思いで働いていてくれたのは良くわかる。しかし子どもにしてみれば寂しい想いしかなく、登校する時には祖母が気付きにくい学校の事、ハンカチを持って来ていないとか上履きが汚いとかで格好のイジメの的になったものだ。
だから絶対に飲食業に就きたくは無かったのだが、それがまぁ、こんな有様でして。
ここのところお店は絶好調、サイコーに楽しい。カラダはキツイが、常連様だけでは無く初めていらっしゃるお客様も多く、充実した毎日だ。俺は今、あの倒産の悪夢を乗り越え、ようやく一つカタチを作れたと思える所に来ている。
しかし今日。
小学校2年生の次女が「いつまでこんな日が続くの?」とカミサンに尋ねたらしい。たしかにここのところの忙しさで、一緒に食事はおろか、小学校から帰ってベッドに入るまで顔を見ないという日が続いた。理由は言わないが、次女が毎日の学校の終わりに楽しみにしていた児童クラブにも行きたくないという。感情表現が上手くないはずの次女が、わかりやすく伝えてくれている。
俺が居ないのは構わんだろうが、娘達にとって「生活からママを失う」というのは酷いストレスだ。それは良くわかる、なんならカミサンよりもわかるつもりだ。まさか俺が当事者になるとは思ってもいなかった。
匿名ブログからお付き合いいただいている皆様には覚えていらっしゃるだろうか、長女が学校に行けなくなったのもこの時期だ。幸い長女は今は学校に行けてはいるけれど、あの頃は本当に悩んだ。二度とあんな時間は過ごしたくない。
「カミサン」と呼ぶのにはワケがある。あくまで「ママさん」ではないのだ。カミサンと二人でこの「とおりみち」をやってはいるが、カミサンには「娘達のママ」を再優先させてやりたい。店の「ママさん」にはさせない。
店のブログで書くことではないのはわかっているのだが。