死んでもやめんじゃねーぞ
2026年3月4日(水)
毎日深夜まで映画や本。
なんでそんなにコンテンツを必要とするのか微妙なところだが、わかっているのは「とにかく自分を常にアップデートしておかねば」という恐怖症。
自己肯定感の低い人間の宿命、「カイゼン」という名の現状否定。
そんな長く寝なくても悪く無いらしいのだが、
ただでさえ弱いアタマが、なおさら回ってくれてない気がする。あと、飲み過ぎが最も良くない。
朝、三女とおかゆ。
昨日熱が出て寝てた(18時間)次女も、回復してきて良かった。
猫ズは並んで引っ付いて寝ていた。
ランチ、ボチボチ。
次女が保育園に入った頃からずっと幼馴染でいてくれている子も来てくれたらしいのだが、立派なレディになられたようで、全くわからなかったわ。みんな成長していくね。
ピークタイム以外はカミサンはずっとPC。
最近は昔の子供達の写真の整理を頑張ってくれている。
古いSDカードを見つけてきて、そこから思い出を吸い出していく。今日だけで軽く1500枚の写真がカミサンによって発掘された。
長女と次女の、昔macbookにしまい込まれていた写真もディグってくれて嬉しい。
3歳、6歳。
夜。広島の友達からLINEで、新たな本の宿題をもらう。
「お前ならもっと深く楽しめてるのか」と言ってくれていたが、俺が何にでも感動しがちなだけだ。
ただ、その本の「副素材」としてイイのがあるので、それを俺からもオススメしておいた。
去年、タイ旅行での飛行機の中で読んだ『死んだ山田と教室』。
俺のお祖父ちゃんが死んだ時、火葬場の上田の爺さんが「マスター、俺はずっとここで見送って来てるからわかるんだ。お前のお祖父ちゃんは、まだまだ生きたかったんだと思う」と言っていた。
お祖父ちゃんは、世の中を恨んでいたし家族に愛されなくて辛かったから、酒を飲み過ぎる事で自分から早めにこの世を去ろうとして「緩やかな自殺」を選択し続けた。「まだまだ生きたかった」なんて、絶対に思っていない。
上田の爺さんはお祖父ちゃんと仲良しだった。「でも、わかるんだよ。もっと生きたいと思う人と、そうじゃない人とは、死に顔が違うんだから」と言っていた。
それからしばらくして、今度は親父が死んだ。
今度も火葬場で上田の爺さんは「てっちゃん(俺の親父)も、もっと生きたかったと思う」。どうかな、親父も親父で「まぁ、こんなもんで上出来だろう」と人生を俯瞰してたような人だったから。上田の爺さんもよく知っているだろう。
「でもな、マスター」
「俺、間違ってたんだわ」
お祖父ちゃんと親父と一緒で酔っぱらいで鼻つまみのオッサンだったが、上田の爺さんは哲学のある人だった。
「俺が『もっと生きたかったはず』と思ってた人は、」
「俺が『死んでほしくなかった』と思った人だけだったんだよな」
ありがとう、上田の爺さん。
俺のお祖父ちゃんは酒飲んで暴れて家族や近所のみんなから嫌われて死んでいったけど、アンタのその一言で全てが回収される。お祖父ちゃんの事を好きでいてくれて、「死んで欲しくない」と思ってくれた友達がいてくれたというのは、今でもずっと俺をギリギリのところで支えてくれる。
12~3年前。
ベロベロに酔っ払った上田の爺さんが「今日はパチンコで買ったからよ〜」と、ウチの店にやって来て、カウンターで俺に2000円小遣いをくれた。
「嘘つけよ。どうせ負けたくせに」と言って、俺も焼酎を奢ってやったのが最後に会った夜だった。粋な人だった。
生きるとか死ぬとかは、案外、死んだ本人が決められるもんじゃないんだろうね。
残された方が、どう解釈していくかでその「死」の意味が変わる。生命は終わっても、誰かの人生を照らせる魂でありたい。
カミサンからは「ヘンな映画や小説やめて、早く寝なさい!」と叱られるし、自分でもなんでこんなに毎日文芸を求めて駄文を残すのかわからなかったが、そうか。
上田の爺さんみたいにクールにはやれないが、自分なりに魂を磨いてたんだな。
なんて、ラオスあたりの上空で思わせてくれた本。








