雨上がりの夜空に
2026年3月18日(水)
昨日の朝イチ。「◯◯は✕✕だから、悪だ!」という悪意の文章を目にして軽くゲンナリしていた。
以前までならイライラして爆発していたのだがそこはさすが50歳前、「さざ波」程度に抑え、三瓶山に行ったり出雲大社行ったりして1日を過ごしていた。
夜、カミサンと大言い争い。
実はカミサンもその文言を目にしていたようでそれについて話を振ってきたのだが、ちょっと論点が異なって話が噛み合わなかったせいで、俺がキレてしまった。
「さざ波」とは言いつつも、さすがに向けられたのが我々についての話であったので、カミサンとしては「更なる改善を」と「マスターがまた暴走しないように」という2点から会話を振ってくれたようだった。まぁこれまで暴走も多くありましたので、そこはさもありなん。
しかし俺がずっと考えていたのは、店の改善などではなく「◯◯だから、これは悪だ!」という人間の思考のクセについて。
何か間違っていた事象に遭遇すると、人は「それを正す権利を持った!」と考えてしまうらしい。俺だってそう。
でも近年は、そういう「正義感」ほど怖いものは無いなとつくづく身にしみている。ヘイトを吐き出す人はみな自分は正義だと思っているし、暴力ですら「自分の正義のもとに」行われている。分断も「相手が悪で、自分だけが正義」のように。
こちらに非は無いし、いちいち「いや、それ間違ってますけど?」と反応するのもやはり「こちらのほうが正しい」という正義感。だから俺としては「最善策として」そっとしておくを選んだつもりだった。正直ピリついてはいたけれども。
オフクロの緊急入院から島根観光で疲労もピーク。
なのに我ながらよくぞ平静を保てたと思っているその瞬間に、カミサンが「改善策を〜」と俺のデリケートゾーンを直接まさぐってくるもんだから、「現状の最善策を取ってんだよ!」とちょっとキレてしまった。
カミサンは返す刀で「あ〜。怒らんでエエから」。
なんでお前が俺の感情をコントロールしようとしてるんだよ!と、ここからいよいよ大喧嘩の様相。
カミサンは掛け値無しの本当にイイ奴なのだが、「デリカシー」や「空気を読む」という日本人特有の機能が備わっておらず、だいたいいつもこの辺りで惨事が起きる。
ただ昨日はさすがに疲れが怒りを上回り、もう先に部屋に帰らせてもらった。
怒りより、休息。
大人になるって、こういう事なのね。
穏やかな精神の時に読みたかったのだが、でもどうしても最後まで行きたかったので、
角田光代先生の『明日、あたらしい歌を歌う』を読了。しみじみしちゃってさっきの夫婦喧嘩もあって、もう大声出して泣いてやろうかと思ったわ。
多少、1980年代の日本のポップミュージックの知識があるとより楽しめるかもしれないが、全く無くても絶対に大丈夫。たぶんみんな知ってるから。
というか、知らない人の方が絶対に幸せだわ。今から楽しめるんだもの。
これから先「今持ってる情報の多さ」は重要ではなくなるんだから、「無知」って言葉もナンセンスになるかもね。今からジェフリー・ディーヴァーを初めて読める人なんて、うらやまし過ぎるもんな。
ただ、「ベストなタイミング」があるのは事実。
音楽は10代の時に聴いたものが未だに響くし、トレインスポッティングもレザボア・ドッグスも、50歳で初見ではもしかしたら響かなかったかもしれない。文化には絶対に「大事なタイミング」があると思う。
カミサンのように50手前で「藤井風にどハマリ」というパターンもあるので、早ければイイというものでもないが。
朝、三女と朝食。
家族愛の本を読んで寝たおかげか、カミサンとも一切のわだかまり無し。図書館から借りたが、この本は手元に置いておこうかな。カミサンも「読んでみる」と言っていた。
ランチ。
土建屋ショウが来てくれて、家族旅行のお土産をくれた。ありがとう。
まだ旅の前半部分しか聴けていないので、そのうち後半部分を聴かせてもらおうと思う。家族旅行の話はナンボあってもイイですからね。
夜。
店は閉めたが、次女のお友達がこれで最後のお食事会と遊びに来てくれたので、仕事は続く。
ちょっとだけ時間が出来たので30分ほどラン。
アメトーークの『ひとり親で育った芸人』の回を観ながら。
『明日、新しい歌をうたう』と重なる部分もあったりして、悲しくもあるはずなのに、全てを「おもろい」に変換できる芸人さんというお仕事の偉大さよ。
「正義がどうで〜」とか情けない事、絶対に言わんもんな。走りながら反省した。








