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2026-03-12

カード

2026年3月12日(木)

夜、米澤先生の『満願』読了。

『氷果』から始まり『黒牢城』でグっと好きになったのだが、これも大変大変素晴らしかった。身近なところで子供が苦しんでいても、それを無視して崇高な理念を掲げる若者に、「『貧しさ』とは、豊かさを見て初めて気づくのか?豊かさに比べて『足りぬ』という事が貧しいのか?」と問う長老のシーンにはハッとさせられた。俺には崇高な理念も無いし、自分のところの娘たちを育てるのに精一杯なんだけども。

 

そして、ネット上で読んだ中埜先生の『おば山月記』も素晴らしかった。

昨日読んだ『殺人事件に巻き込まれて走っている場合ではないメロス』と似ているフォーマットだが、こちらも痺れる文章。中島敦へのリスペクトがあってこそだとは思うが、面白すぎて悲しくなった。

 

「何か成し遂げてやる」と言いながら、何も出来ない。『令和元年の人生ゲーム』にも似た、焦り過ぎた若者が何も出来なくただ歳をとっていく様は、そうやってオッサンになっていった俺にはもう見てられないのよ。

 

「配られたカードで勝負する」。

でっかい夢は見ていこう。でも、まずは手持ちのカードで何が出来るかを認識するんだ。長女は配られたキグルミでアルバイトを頑張っている。なんという、ぎこちない右手か。

 

朝、大吐き気。

昨夜の素晴らしい小説たちとウィスキーの相性が良すぎた。

 

ランチはボチボチ。

遠くから次女の学友たちが自らクルマを運転して食事に来てくれた。みんな運転出来るようになって、保護者の方々におかれましては、心配もあるし成長も嬉しいという複雑な心境のことであろうと思います。バリバリわかるぜ。

 

 

夕方から三女の中学校のPTA。

土建屋ショウがキッチリと会を進行してくれて非常にスムース。仕事を抜け出し急いでやってきたのか、汚れた作業服がむしろちゃんとパパしてて良いと思った。が、顔にまで泥がついていたのは、「あ。こいつ、やったな⋯」と思われてもそれは仕方ないと思う。

 

 

夜。

そんな「手持ちのカード」を見て、自分の事を「普通過ぎる」と人生を『ナナメ』に見ていた『野良犬』のような高校生の物語。どうやら『大学』にも行けそうにない彼に「才能のカード」は配られ無かったが、でもアメフトしか無いんだ。

 

前言は大撤回させていただきたい。

若者は「無いカード」でこそ戦え。

 

魂に火を着けられるなら、音楽でもスポーツでも勉強でもアニメでもゲームでも何でもイイ。手持ちのカードなんざ、弱ければ弱いほどオールインのしがいがある。

本気でやったヤツには、負けてすっからかんになった時に新しい素敵なカードが配られる。オジサンもう知ってるんだから。

ちなみにこう見えて、実は俺だって中学の頃は5時半から朝練する野球少年だった。下手くそ過ぎて自分を恨んだけど日々だったけど、あの朝練が今も俺を支えてくれているんだから、今は「下手くそで良かった」と心底思っている。

 

大谷翔平は素晴らしい。

だけど、『桐島、部活やめるってよ』のあの野球部のキャプテンだってサイコーに美しいんだ。長年みんな待ちわびた、俺らぼんくらクソジジイたちが大好きな映画『桐島、部活やめるってよ』のアンサーストーリーを、まさかあの若林正恭が描いてくれるとは⋯。

 

 

15年。

俺、島根に帰って15年ずっとオードリーのANNを1回も欠かさずに聴いてるのに、なんで「配られたカード」みたいなしょーもない事を言うクソジジイになってしまったのか⋯

 

魂の自由さを奪ったのは、社会か?

俺に勇気が無かっただけだろう。

 

最近の療養中の若林の苦悩もどうしても感じてしまうが(ここ2年くらい忙しすぎてラジオで狂ってる時が多い。本当に仕事と子育てが大変そう。春日は7年くらい前が酷かったが、結婚してむしろ落ち着いた)、3週間と言わずぜひともゆっくり時間を過ごして欲しいと願う。

ちなみに「ダイブツ」が春日、のような気がする。

 

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