二分脊椎
2024年4月11日(木)
しゃけ弁。次女のお友達の間では「今日はパパだね」「あ、今日はママが作ったね」とお弁当トークで盛り上がるらしいが、ほとんど俺だ。だいたい俺だ。
次女が学校から帰るまで待って、8km。千鳥とその友達がパチンコをするだけの番組なのだが面白い。俺は一切のギャンブルをしないので、その競技についてはよくわからんのだが面白かった。
それから次女と宝塚へGO。
夜23時到着。アサリとシジミの兄弟であるハチも起きて待っていてくれた。
2024年4月12日(金)
次女の二分脊椎という病気の診察に、神戸のこども病院へ。もう17年になるか。
午前は検診。
そして午後から診察になるのだが、二分脊椎というのは複合的、いろいろな診療科に診てもらわなればならない。
まずは整形科。
整形の先生は「何か違和感があった時にはすぐに連絡を」と。
そして「ただ、もう心配はいらないと思います」。
17年待った言葉を、ようやく聞くことができた…
次女は「嬉しくて泣きそうだった」と言っていたが、父親の方としたらとっくに泣いてしまっていた。だって17年も心配したんだもん。
しかしここは「こども病院」。
我々が診察室から出れば、後に続くのは車椅子のホイールを自ら回し、診察室に入っていくキッズとそのパパとママ。
マスクに涙を吸わせて、出来るだけ普通のツラして会計に向かった。
親父が死ぬ前に「リコの病気は俺が持って行ってやる」と言い残したのが思い返される。
あの時は何カッコつけてんだよ思っていたが、整形を出た後、1番に思い出したのは親父の事だったわ。ありがとうよ、おかげさまです。
他の診察はまだ残っているが、整形だけでも「もう心配ありませんよ」と言ってもらえたのは最高の喜び。
焦らずにいこうと思う。
親父みたいに「雰囲気あるカッコいい何か」的な発言を遺したいと思うのだが、全然思いつかないし、まぁ無理だろうな。
でも良かった。次女が問題なくて良かった。
それでもう、何も要らないわ。