楽太郎
2022年9月30日(金)
毎月、少なくとも月2回は「粗大ごみ」を持って笹畑クリーンセンターへ処分してもらいに行っているのだが、我が家の「要らないもの」は一向に減らない。
カミサンとも「どうやったらスッキリした家で過ごせるんや!」とずっと話し合っているのだが、これがなかなか前進してくれない。ふたりとも頑張っているんだがなぁ〜
図書館で借りてきた本を読んだりもするのだが、俺もカミサンも「んなこたぁ、とっくに分かってんだよ〜!」と、実践できない事例にムカつくだけであった。
いつか心穏やかにすごせるような家にしてやりたいのだが、いつになるかはわからない。
今日はランチで営業終了。ぼちぼち忙しくさせていただきました。
月の3分の1をお休み頂戴してしまいましたこの9月でしたが、来月は子供の行事、そしてカミサンが大阪で行われる藤井風のライブに当選いたしましたので、似たような営業日数になりそうです。
夜。6代目圓楽の訃報。
ちょうど伊集院の本を読んでいたところだった。伊集院光と6代目の関係はもはや言うには及ばない。
NHKで伊集院光がやっているあの番組で、特に「カフカの回」が素晴らしかったとは聞いていたのだが観ることは出来なかった。
その後、「もう少し深堀りしたい」と願った伊集院が再び専門家に尋ねる対談をまとめたのがこの本で、これは絶対読みたいと思っていた。
たしかにカフカの回、素晴らしい。
俺個人の感想としては、以前からずっと川島先生が『変身』で「虫けら」と翻訳されたのがビリンビリンにしびれていた。
『変身』というのは、朝起きてみたら虫になってしまっていた男の話だが、その「虫」の部分を「虫けら」と表現されている事で、読んでいる方はグッと理解が深まる。素晴らしい翻訳。これがただの「虫」であったなら、こうは感情移入が出来なかったはず。虫じゃない、「虫けら」であったからこその名作だ(しかも本当は「虫」ですらないドイツ語だからな)。
「神は細部に宿る」とはまさにこの事で、ほんの些細なところにこそ、重要な全てが詰まっているとつくづく思わされる。
日々そんな事を感じながら生きるのだが、その都度よくこの「虫けら」を思い出していたので、この本で川島先生と伊集院光の対談が読めて嬉しかった。
が、もっとも響いたのは最後の神谷美恵子の『生きがいについて』だった。
6代目の亡くなった日に、そんな伊集院の思う「生きるとは」について読むとは思ってもみなかった。
何度もこの日記で書いているが、俺は5代目の落語が好きではない。
辛いのよ、その「わざと下りてる」感じが。若竹の事の責任を取ってる感じが。やりたいことを我慢して、わざわざと芸のレベルを下げてる感じが。
でも6代目は明るかったね。
5代目が出来なかった「悪役」を引き受けて、落語の明日を作った人だった。
落語ファンのためではなく、落語に興味のない人のために落語をやった人だったね。
色んな人が死んでいく。
今まではそんなに気にしていなかったけど、コロナ禍以降、特に悼むことが多くなっているような気がする。
そういう歳になってきたという事なだけだろうけれど。
早めに家を、カミサンの過ごしやすくしておいてやりたいと思う。