マルチバース
2022年6月24日(金)
夜。洗濯のじゃまよ〜
片付け終わってリビングに戻ると、なんと次女がお勉強中。おぉ、頑張っているじゃないか。
でも「何がなんだか全然わからんわ!」らしい。清々しくてイイではないか、お前らしくて良い良い。
次女が躓いたその問題を簡単に説明すると、
・ふたつの奇数の2乗の差は、4の倍数である。これを証明せよ
というのが問題らしい。あ〜、こんなんだったかな〜
カミサンは先程のアサリちゃんが伸びきっていた洗濯モノを干すお部屋で韓流ドラマ観ながらヨガ。「ワタシは『証明』は得意だった」と言うだけ、ヨガが忙しいらしい。
というワケで俺が「証明」一緒に取り組む。ま、ママほどではないがパパも証明は嫌いじゃなかったよ。
まずお前、「n+1」は奇数じゃないんだわ。
nが1なら、いきなり偶数でしょ?だからまずは「n」を無理矢理に偶数にしちゃえばイイんだよ。
とか言いながら、一緒にお勉強。だいたいパパは『フェルマーの定理』も『博士の愛した数式』も読んでるんだから。
そのうち「なるほどなるほど・・・」とわかるようになっていき、次女、最終的にはノルマ達成。
バレーボールの時は一切助けてやる事が出来なかった。
その分、お前と一緒に何かできるのはとても楽しい。高校生になったらもう勉強をみてやることなんて出来ないんだから、これが最後のチャンスだな。ギターもウクレレも、もう俺より全然うまいしな。
それから次女と2人で『ドクター・ストレンジ マルチバースオブマッドネス』を視聴。ドクター・ストレンジが主人公なのだが、「可愛い2人の子供と遊ぶお母さん」のシーンで俺も次女も「ぎゃあ〜!恐い〜!」。
MCUシリーズでパワー系で最強なのは「キャプテン・マーベル」。しかし魔術ならば、この子供と遊ぶお母さん「ワンダ」が最強かつ今最も怒りに震えているヒーロー。
このワンダが「『マルチバース』を自由にする」と我を失っている。
ワンダ。悲しい過去(そして今)があったとはいえ、どうか落ち着いて欲しいというドクター・ストレンジをぶっ飛ばして大暴れ。
「マルチバース・・・」と、次女と感慨にふけっているところに、今さっきまで韓流ドラマを観ていたはずのカミサンから「まだ起きてるの!早く寝なさい!」と叱られ本日の次女とのMCU活動終了。
布団に入って「マルチバース・・・」と考え直しながら睡眠。
朝。
三女を小学校まで送っていって戻ってくると、カミサンがバッリバリに庭いじりしている。汗だくで楽しそうね。
お店をオープンさせてお客様がいらっしゃってもまだカミサンは庭が楽しいらしく帰って来ない。
Sさんから「雑草抜いたりしてるのかと思ってたら、ノコギリ持ってきて伐採してました〜!」とご報告を受けた。もうそっとしておきなさい、今日は我々だけで頑張ろうじゃないか。
が、Sさんも「今日は早めに帰りたいんです〜。夫の夕食を作ってあげたくて〜」。素晴らしい!それはイイ事、O先輩のごはん作ってあげて!
なんかいいなあ〜
(このように大変フレキシブルな職場となっております。週末のアルバイトさんを募集しておりますので、是非ともよろしくお願いします)
ランチ、満席御礼。ありがとうございます。えっちゃんとふたりで頑張りました。
今日はランチで営業終了。
次女が帰ってくる前に1人で『ドクター・ストレンジ』の続きを視聴。うう〜ん・・・
非常に評価の高い映画なのだが、今回の悪役「ワンダ」の描き方が俺はちょっと納得がいかない。
MCU映画は、エンターテイメントの体制を取りながら現代の悲しみや不幸を問うてくる。
ワンダは「ナチス」からサノスまで、長い長い戦争被害者だ。それが今回のこの扱いはちょっと不公平だろう。
「前作関連作品を観て無くても十分楽しい」はそのとおりだと思うが、『スパイダーマン』と『ワンダヴィジョン』は観ておいた方がイイと思う。でないと、哀しみの部分はわからないと思う。
今後のワンダの扱いについての事もあるし、やっぱり観続けるしかなくなってしまった。
夜は娘たちのリクエストでエビと餃子。
餃子は手づつみであるから、今夜は我が家の最もめんどくさいメニューがダブルでご注文となった。
みんな喜んでくれたのは良かったが。
が、今日も食べ終わった後の殻でのスープ作り。だる〜い。が、美味〜い。
夜、次女と三女と『トイ・ストーリー4』視聴。
「俺にも、もしかしたら違う生き方が出来るだろうか?」というお話だね。
観ながら、「マルチバース」についても考えていた。
今年はMCUに限らず、その他の映画でも小説でも、「マルチバース」的なお話にふれる事が多かった。
中でも強烈だったのはこの『アノマリー』だが。
『アノマリー』を読んでる読んでいないでは、「今の人生」の大切さがわからなかっただろう。
「マルチバース」というのは、つまり「もしかしたらもっとイイ人生があったのかも?」と考えてしまう事だ。
あの時もっと勉強していたら?あの時この人をパートナーに選ばなかったなら?と、捨てたはずの選択肢なのに実は今もココロに残している夢想を、MCUやその他のエンタメがくすぐってくる。
もっと他の人生があったのでは?
そうね、あっただろうね。
ただ、あったとして。
あったとして、その世界に今すぐに移動できたとして、さぁ満足が行くんだろうか?「今」に全力を出せていない者が、そっちの世界では一生懸命頑張れるのか?
『トイ・ストーリー4』は、「今から、自分で新しい道を行く」という話だ。「もっとイイ人生があったらなぁ」ではない。
どちらも素晴らしい映画。
選ぶのは、自分だ。
ただ、「後悔のある人生」も、たぶんこれもまた悪くないもんだろうけどな。それを笑える自分になれていれば。