22(水)はランチのみです
2022年6月21日(火)
最新の夫婦喧嘩では「もう絶対に朝食とか作らんし!」と宣言したのだが、お店がお休みの日は別に作ってもイイ事にしている。休みの時は寝かしてやりたい。
今朝は、昔神戸に住んでいた頃、家のすぐそばにあった「はた珈琲」さんという喫茶店にあった「たまごトースト」を再現。あと、5ケ¥100のあんぱんも添えて。
娘らを学校に送り、帰ってきてからも時間はたっぷりある。
Netflixで『HUSTLE』視聴。「中間管理職ならではの苦しみ」とか「貧困からの脱却」とか、「才能溢れるライバル」とか「原始的なトレーニング」とか。
全てが「とっくに観たことある」という内容。
なんなら15年前に作られたサッカー映画の『GOAL!』の方が、今でも映画としては面白い。
が、この『HUSTLE』はそもそも「概念」が違う。
これは映画ファンのために作られた映画ではない。これは映画を観たい人のためにではなく、「NBAが好き!」という人がそんな自分たちのために作ったものだ。
映画としては重要な部分が削られて、逆に「は?このシーン要る?」という場面ばかりが残っている。あの「ステーキを一口しか食わない」ってシーン、あれって何度も撮影する必要あるの?
評論家にしてみても美味しい映画。
「観客をおいてけぼりにした」「プロットが甘い」など、叩きシロも文字数も増える。文句を書きやすい映画だろうよ、伏線回収みたいなものもないしな。
ただね〜。
俺はこの映画好き〜〜〜、大好き〜〜〜〜。
「映画」としての完成度なんて、俺にはわからん。でも作ってる側の「NBAが大好き!」というのはビンビン伝わってくる。NBAなんて映画よりもっとわからんのに、知らないのに感情移入してしまう。
志ん朝が『文七元結』で橋のシーンを削ったように、談志が『芝浜』でカミサンの苦悩を削ったように、この『HUSTLE』は「映画ファン」の喜びそうなところを削りまくって出来た傑作だ。
伏線回収なんて要らん。観たままを、自分で解釈させてくれる方が文化としては崇高だ。
カミサンが参観日に行ってくれてる間に、半年ぶりにロープに挑戦。せっかくT先輩がプレゼントしてくれたのに、ここのところ四十肩の痛みで長らくロープが出来ていなかった。
痛いだけならイイとしても、最近良くなったその四十肩がまた元の痛みに戻るのだけは避けたい。
痛むならすぐに止めよう、と思って始めてみたら全然大丈夫!俺、出来る!嬉しい!
でもホントにただ「出来る」だけ。
カミサンから「ビュンビュン音がして、猫たちが怖がってたよ」と言われたのは遠い昔。今日はその全然波打たないロープの真横で、母親猫のシャムちゃんがスヤスヤと眠っていたくらい。ま、見てろ。
たいしてロープはやれなかったが、今日はお休みなので庭でのんびり。久しぶりに「カミカゼ」を作ってみた。フローズンで。
5年ぶりくらいに作ったが、相変わらず超絶に美味いね俺の「カミカゼ」。
「絶対に『朝食』は作らん」のルールに従い、晩ごはん作り。晩ごはんは作ってもイイ。サーモンをローズマリーで焼いた。
夕食の終わり頃。
カミサンが「お酒で失敗して欲しくないから、ハタチになったら1回家族でお酒飲んでおこうね」なんて、長女に提言。
なに言ってんの。
俺のこの「お酒による体たらく」見てたらそれで十分。お酒なんて何歳になろうがそもそも飲んじゃダメ。
でも飲まなきゃやってられない夜もある。そういう時こそ「カミカゼ」なのだが。
娘と酒を飲む日なんて全然楽しみじゃない。
けどもしもそんな日が来たら、むちゃくちゃカッコつけて見せつけてやりたいわ。寝癖ボーボーで朝食とお弁当作ってるオジサンが、実はけっこうイケてるってのを。