レイラの最後の10分38秒。そして8/29(日)はランチのみ
2021年8月28日(土)
ここのところ、「あたり!」という本に出会えてなかった。
そんな風に「最近は『本運』が無ぇなぁ〜」なんて思っているのだが、でもだいたいそういう時はこっちのメンタルに問題があったりする。
が、今年はもうこれ以上の大物に出会えないだろうヤバいブツに遭遇。
『レイラの最後の10分38秒』。
主人公のレイラが殺されたところから話は始まる。心臓も止まり命は耐えたと思われても実は思考はまだ動いている、その時間「10分38秒」。
そんな実際の医学論文から着想を得た「トルコで最も読まれている作家の小説」っつーもんだから、てっきり読みやすいモノかと思ったら、これがまぁ・・・
内容は調べてもらえばすぐに出てくるだろうから割愛するが、中盤まではとにかく、およそ女性に生まれた全ての人にまつわるありとあらゆる悲劇が起きる。よくもこんな地獄が書けると思う。
読むのが苦痛過ぎて全然進まない。ほっとんど「男」という生き物が悪い。
そのうち段々と俺も罪悪感に襲われて、けっこうマジに「生まれてきてすいません」レベルにまで落ち込んだ。
せめてもの救いは「でもレイラはもう死んでいる。これでこんな世界からはおサラバ出来るんだから」という小説内の事実なのだが、主人公はそれくらい酷い仕打ちを受け続ける。
き、きつい・・・。
カミサンからは「だからなんでそんな本を読むのよ!」と、ここでも男女間の断絶を感じながらそれでも読み続けた。止めたらずっと「罪悪感」の中で生きる事になりそうで。
「それでもレイラには生きた意味が十分あった」という事を証明して欲しいと、ちょっとずつちょっとずつ1週間かかってようやく読み終えた。
読んで良かった、と大きい声ではまだ言えない。「本から得たもの」というのは、10年20年してから感じられる事も多いから。
今は「自分が男である事への無自覚さ」に反省するばかりで、我が家の3人娘の父として、そしてカミサンのパートナーとしての至らなさに情けない。
もちろんそういった自虐が本当のフェミニズムではないとはわかっているが、振り返ってみればやはり「まったく俺という奴は・・・」と深く内観して後悔している。
しかし文学とはこうあって欲しいとも思う。読んで傷ついて、そしてそこからまた復活する事でより善き自分になれるのだろうから。
ちなみに「では男であるという苦しみにはどうしたらイイのか?」に応えてくれるのは『カイトランナー』がオススメ。今まさにアフガニスタンに思いを馳せるのにもちょうどイイと思うし。
本日カミサンとは引き続きノー会話営業。えっちゃん、スマンかった。
夜、営業終了後のカウンター。
この日記を書いている俺の横では三女がダンボールで工作開始。何ができるのか?
「パパ〜、3等分ってなに〜?」
いいね。工作ってのは、算数のお勉強にもなるんだね。
4年生だから「3等分」はわかっていて欲しいが、イイ機会だ。一緒に勉強しよう。
落ち込んでいたので、頼られて嬉しかった。ちょっと今から工作がんばります。
明日はランチのみの営業でございます〜