11/05(木)はお休みです
2020年11月4日(水)
5時起床。本日はお店はお休みなので、体力の残りを考えずに行動が出来て嬉しい。
本を読んで調べ物して、長女のお弁当もこしらえた。
子供らを送ってから、そのまま大田市へ。お店は休みでも、俺はやる事ぁ色々とあるんだなぁ
とんぼ返りして、カミサンと広島に向かった。今日は仕入れと、もうすぐ始まる庭の改装工事のお勉強がしたい。
広島までの車中、ほとんど会話もせずに考え事に集中した。
今年は「マーケティング」と「戦略」についての本をたくさん勉強しようと思って読み漁っていたはずなのだが、ここ1ヶ月ほど「歴史モノ」に道が逸れていた。
しかしそれは無駄どころか、店のこれからを考えるのに、しかもそのマーケティングや戦略についての気付きも多くもらえた。
いくつか考え直したいなと思う事が出来たのだが、その中でも「喫茶とおりみちにとっての『敵』とは何か?」についてだけは、とにかくアタマの中をひっくり返して思い直したい。
飲食店の敵というと「ライバル店」となりそうだが、そもそも我々喫茶とおりみちの近所には飲食店が無い。価格競争などで疲弊しあうライバル店は無い。
しかし、その分この町には「外食するという文化」があまりない。あるとすれば単に酔っ払いたいだけのオジサンたちが、毎回同じお店に行って毎回同じ焼酎を注文して同じ話を繰り返すだけ。外食とは言わない。
月に何回外食しますか?というアンケートがあれば、平均を取ればかなり少ない地域になるだろうと思う。
だから俺は最初から、もっと飲食店が増えて「外食って楽しいものですよ」とお店側が伝える事が出来ないならば、それこそが危機であるというのが持論である。
そんな中で10年前、島根に帰ってきてすぐの俺が仮想敵に設定したのが、「家飲み」。
外では飲み食いしないけど、お友達とのコミニュケーションにアルコールや食事は欠かせないから、惣菜や各自で買ってきた飲み物などを「我が家」で消費する。
それがスタンダードになれば、「外食」というものは贅沢品になってしまい、一般的な生活者の「日常」から消える。
徐々に「飲食店」というのも必要性を失い、たまの同窓会や忘年会、結婚披露パーティーなどの「非日常のモノ」になる。
社会から外食文化が消えれば、とうぜん飲食店も消える。事実、我が邑南町でも飲食店がなくなっている地区もある。
喫茶とおりみちがいつからか「オードブル」を止めたのも、それは一応はこの外食産業の端くれとはいえ、しかし責任感からの中止だった。
それがこの「コロナ」だ。
上の俺の空論が正しかったとしても、日々のゼニが無けりゃあそんなもんは何の意味も無い。経済の無い道徳は寝言以下よ。
食っていかなきゃならない。
より良いアイデアが無いなら、恥も外聞もなく必死に「家飲み」用の商品を提供する他に手立てはない。
おかげさまで外食人生で初の、「テイクアウトのみの営業」という1ヶ月間を過ごさせてもらった。
今ここで食べていただければ美味しいものを、しばらく時間が過ぎてしまってから召し上がってもらう事になる。
クオリティが低くなるとわかっているものばかりを納品せねばならんというのは、カミサンにとってはむちゃくちゃに悲しい事だっただろう。かなり商品開発をし、出来るだけ美味しい状態で食べてもらえるようにと苦心はしたが、それでも80%以下の品質だったと思う。
これが俺もカミサンも「料理人」であれば、もしかしたらテイクアウトのみって営業はやってなかったかもしれない。俺が料理人なら絶対やれてないと思う。ただ俺の場合は「サービスマン」である、お客様が望まれるのであれば望まれるカタチで納品する事にはさほど抵抗は無かった。
そんななんとかかんとか夫婦のバランスの取れた状態で「テイクアウトのみ」という期間をくぐり抜けた。
思うのは、「もう元には戻らない」という事。コロナ禍が起こした変化は、あっという間に日常に定着した。
俺が仮想敵と設定した「家飲み」は、もはや「飲み会をする方が社会の敵じゃないか!」というほどに大手を振って歩き出したのだ。
いまだに夜の売上は元通りにはならない。
お昼の営業はおかげさまでなんとかなっているが、昨日までの10ヶ月間で今年の夜の貸切営業はたったの「2回」だ。
さぁ、いったいどうしたものか・・・
歴史モノが教えてくれたのは、とにかく「急いては事を仕損じる」。
出来るだけ長い目で戦略を練り、今やれる事にだけ集中出来た者だけが生き残る。
ん〜〜〜、今やるべき事か〜〜〜・・・
とか考えてたら1時間半経っていた。
色々と見学させてもらった。
今回もあのテイクアウトの時と同じように、カミサンと俺では「庭の改装」に対する考え方が違う。
これがまたイイ相乗効果になるんじゃないかなと期待している。
最後にコストコで仕入れして帰った。