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2020-08-21

サンドイッチのお弁当

2020年8月21日(金)

深夜。置き手紙して本日のお仕事終了。

普段よりも1時間遅くにアラームをセットできて寝た。カミサン、任せた。今日はゆっくり寝かせてもらおうと思う。

 

朝9時半。

今朝も、「2時間ほど邑南町を歩き回る」という拷問をしていたのだが、最後の最後の終わり際、同じ町内で飲食店を経営するリュウジに会って情報交換(ほぼただのゴシップ)。お互いにヨタを飛ばした。

 

与太話でも、島根に帰ってからの10年で俺が最も失ったのは、こういった「同業の仲間との話し合い」。

失ってみてわかる。

あの頃神戸で、朝方の焼き鳥屋さんや「のんき」で先輩や後輩たちと交えて話し合えてた事が、それがどれだけ自分を支えてくれていたかを。まるで無意味と思えたあの時間が、実は俺たちの明日への糧だったんだな。

リュウジと話しながら、そんな事を思っていた。

 

ランチ前、業者さんが大量の食材を持って来てくれる。当店の食材収容キャパシティのギリギリまで持ってきてもらった。

この金・土・日、絶対に「大稼ぎ」してやるぜ!

 

と、意気込み望んだランチでしたが、驚きの「今月最低売上」。やべぇ、ここのブログで愚痴こぼしまくってたら誰も来てくれなくなっちゃった(当たり前だろ)。

在庫が大変な事になってしまったな。家族で食べよう。

 

そして、なんと驚きの「夜もヒマ」。

でも、おかげで娘らと夕食を一緒に食べたりできた。

 

カミサンは「ヒマとか関係ない。毎日20時半、そこでワタシのスイッチは切れるのよ」と、さっさと床についた。

 

洗い物やらはあるのだが、でもおかげで長女と二人で夕食の時間を過ごせた。

最近の学校の様子を聞くに、とても充実しているようだ。学校も、部活も、生徒会も、全部が楽しいらしい。

 

「そうか、良かったね」と軽く言いはするが、本当に良かったのはコチラ側で、だって「子供が『学校が楽しい』って言ってくれてる」なんて、これ以上嬉しいことはないよ。

彼女が学校に行けなかった時の事を思い出したりして、しみじみ有り難いなと思った。長女には気持ち悪かったと思う。

 

去年の今頃「どこの高校に行くのか?」で悩んでた事もあったが、結局のところ、「自分で決めた」のは良かったと思う。

パパ&ママとしては、あそこに行ったら?というのが無いわけでもなかったが、それでも「自分で選ぶ」という事をできたから、今の学校生活が楽しめているのかもしれないね。

 

さて片付けようと洗い物を始めると、長女が「明日、全国模試がある」と。あら、お休みじゃないのか。

「パパ、明日はサンドイッチのお弁当がイイ」。

 

精神が鋭くなる。

普段作ってるサンドイッチのお弁当ではない、リクエストでのサンドイッチのお弁当。

清原よ、ケミカルはいらんのや。子供のお弁当を作るには、悩むより素直にグーグル検索に「サンドイッチ 子供のお弁当」って入れたらエエんや。

 

しかし、改めて設計図を書くとなかなか難しい。

俺は調理人ではないが、多分同世代のおじさんよりは「お料理」は出来る。だからきっと「サンドイッチ弁当」も、それなりには出来る。今までも作って来たし。

しかし、今回は長女から初のリクエスト。頼まれた「サンドイッチのお弁当」は、クライアントがびっくりするような納品をしたい。グーグル検索、お前じゃ全然ピンと来ん。

 

でもこれはやるしか無い。

ここのところ「自分の無力感」に苛まれていたが、「パパ、サンドイッチ」と言われたらそりゃあやるしか無い。

 

誰かに頼られるのは嬉しいことだ。

アドラー心理学では「他者への貢献は、身勝手なものでイイ」とおっしゃっているが、それでも求められるのは嬉しい。誰かのお役に立てて死ぬなら本望、できればそれが娘や友達、そしてカミサンであったらイイのだけれど。

 

それにしても、ここのところココロが弱っている俺には「サンドイッチのお弁当」ってのは、本当にありがたい。

サンドイッチの仕込み=生きてる意味、である。

 

やるぞ〜(現在ハイボール2リットル)。

 

 

 


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