備忘録的
2020年2月27日(木)
娘らとはあわないようにして朝の時間をやりすごした。
ランチはカミサンとアルバイトのえっちゃんにおまかせし、横にならせてもらっていた。「表情が全然違う」とカミサンに言われたが、それは自分ではよくわからない。
2Fのリビングで休んでいると、駐車場から声が聞こえる。小さい男の子の声がして、「なんで池を無くしちゃったの?」とお母さんに訊いているようだった。
お母さんがなんと答えたかは聞こえなかったが、今回のお店のリフォームも失敗だったように思えてきた。
夕方、朝から水すら摂っていないと気づいてキッチンに降りた。そろそろ子供らが帰ってきてしまうので、お茶を飲んでからクルマに移動してまた横になった。
夜はえっちゃんが居ないので、なんとかお店に立った。常連さまから「なんか顔つきが違いますね」と言われたが、やっぱりそんなモノなんだな。
カミサンからは「早く3月の休みを決めないと」と言われるが、どこをどんな風に休業日にすれば効率的かわからない。考えたり決断するのが苦しい。
「絶対に週に2日は休みを取らないと困るのよ」と急かされるが、週休2日を提案したのは俺の方で、カミサンは「不定休にしておけばイイ」と言っていたはずなんだが。
とにかく責められてる感がひどい。
ただ、俺もこの「病」についてたくさん本を読んできてようやくわかるのだが、これは多分「認知のゆがみ」というやつだ。
「認知のゆがみ」は簡単にいうと、ある物事への間違った認識や被害妄想。もっと簡単にすると単なる「誤解」。
うつ状態の時は他人の言葉が全て「悪意のあるもの」と認識される。
駐車場の男の子はただ「池を無くした理由」を訪ねただけなのに、それを脳は「楽しみにしていた池を無くした俺を恨んでいる」と受け取る。
カミサンは「カラダを休めた方がイイ」と言ってくれているだけなのに、「経営者として失格と言われている」と脳は変換してしまう。
普段なら、たとえば少々の悪意のある言葉でもなんならその100倍以上のシニカルで切って返せる俺だが、うつ状態の時は「精神がむき出し」のような状態になっており、どんな優しい言葉でも「切られている」ように感じられてしまう。まるでココロの痛風だ。
これが「世の中は全て敵」と思わせる「認知のゆがみ」だ。
極度のストレスがかかった時から、だいたい10日から2週間後くらいにこの状況に陥るようだ。今回も思い当たる節があり、「ちょっとした裏切り」にあったその日と符号する。
なんとなくマズい事になりそうだと思って急いでトレーニングしたりランナーで汗をかいたりしたのだが、少し遅かったようだ。
あと生命力が落ちるのか、冷え性が悪化、そしてだいたい便秘になる。うつやその他のココロの病の研究では、目下「腸が病に関係している」というのがトレンドで、うつ病患者の多くに「腸の動きの低下」が見られるらしい。俺が当てはまるかどうかはわからないが、たしかにいつも便秘がちになる。
あとは定番の過労と睡眠不足。
インプットしない。焦って解決ための新情報を欲しがり、本やネットを漁ってみても、「認知のゆがみ」の状態ではどんな有益な情報も消化/昇華できるワケがない。以前も認知行動療法の本を読んで余計にドツボに落ちてしまった事がある。
いい機会なのでTwitterはやめた。アカウントも解除し、正式に退会した。日常生活で困った時や、読みたい本を探す時に非常に便利なツールであったが、間違った情報や誹謗中傷対決が多すぎる。フォローしている大好きな人同士がネット上で罵詈雑言の言い争いをしているのを眺めるのはもう嫌だし、あまりにも時間の無駄だ。
その他のSNSも一気にやめてしまいたかったが、お店の情報のためには俺のアカウントを維持しつづけなくてはならないのでその他はそのままにしておいた。
料理をした。
今日は何も食べてなかったし、冷え性と便秘を改善すべく、大量のごぼうと春菊を調理して食べた。軽度の時はテンションを上げて誤魔化すためと睡眠導入剤代わりにアルコールをやりすぎるのだが、今のように深いところにいる時には逆にまるで欲しくない。俺を「アルコール依存症」と診断してくれた先生がいたが、あればっかりは誤診であったのではないかと思っている。
「今は自分の受け取り方がズレているだけ」と忘れないようにいる。多くの人が心配して応援してくれているが、「そのためにも俺がいなくならなければ」などと思わない。今だけがしんどい時間で、いつかはトンネルも抜けられるはずだし、今までもそうだったのだから。