米子へ
2019年12月26日(木)
カミサンと次女三女は宝塚へ帰省。道中、どうぞお気をつけて。
俺は米子へ。
米子はおろか、鳥取県にすらほぼ初めて来た。3時間ちょいかかった。
神戸時代の後輩が米子でお店を出したので、そのお祝いにやってきた。本当はもっと早く来たかったのだが、なかなか時間が取れなかった。
楽しそうな雰囲気の居酒屋さんが出来ている。常連様にも可愛がってもらっているようで、俺も嬉しかった。カウンターで隣になった男性は「ほぼ毎日来てるんですよ〜」とおっしゃっていたが、今後もぜひともご贔屓に。
いろいろと大変な思いもした奴だが、こうやって頑張っている。お店を出すのはあくまでスタート地点ではあるけれど、ひとつ自分に自信を持ってイイと思う。
まずはしっかり基本に忠実に。
お客様は次から次へと途切れる事なく。なかなかゆっくり話すことは出来なかったが、それでイイのだよ。
邪魔してもいけないので、俺はそろそろ帰る事にした。お店が終わったら一杯やろうやと思っていたが、運転疲れか、グーグー眠って起きれなかった。ま、また来るわ。
2019年12月27日(金)
朝のうちには邑南町に戻れた。
昼間、映画を観たり本を読んだりして過ごした。自分の自由な時間はあるが、子供らが居ない家は寂しい。俺も早く宝塚へ行きたい。
話題になってた本を読んだ。ふうん・・・。
同業者としてそして同族嫌悪から「何を甘えたことを抜かしとんねん」、と思いながら読んだが、真理もなくはない。
ここ10年で「飲食店の出店方法」も随分変わってきた。憶えているのは12年前の業界紙『料理通信』が、「小さな個人商店の作り方」を特集した号だ。
それまでの俺ら世代の基本的な考え方と大きく変わる、「商業的な成功よりも、自由に働くために」お店を出す、という考え方での出店者が増えてきていた。
そのころ俺は神戸で自分の店を倒産させて東京に逃げていたような身だったから、「けっ!利益出せなきゃ潰れるだけやねんぞ!」と、相当の白けた目でその時の料理通信を読んでいた。あまりに腹が立っていたんだろうね、今でも覚えているという事は。
実際にその本で取り上げられたお店の内、何軒が残っているかは知らないが、その残っている店は幾千の死骸の上に成り立っている。その考えに変わりはない。
今ようやく俺もその死骸の上に立ってはいるが、10年前は死骸の方だった。「俺なら出来る」は若さの特権、どうぞ大いに頑張っていただきたい。一度死んでも、どうにか生き返られるみたいだしな。
夕方、ここで今年の工事は一旦終了。だんだんと見えてきたぞ。
それからジムに。なぜか今日はマッチョが4人も居て、ベンチの順番待ちが出た。ちなみに俺が一番軽いベンチプレス。しかしおかげでやる気が出ましたわ。来年見とけよ。
ただマッチョというのはとにかくみんな明るくてイイ人。筋肉って、機嫌を良くするんだろうか。肉体だけでなく、精神面も勉強させていただきました。僕ももうちょいがんばります。
終わってから温泉。ガラガラだった。
サウナ&冷水浴をビシっと決めて、非常に気持ちが良かった。気持ちは良かったが、温泉は壊れて水道水だし、なんせ他にお客様が居ない。無くなられると困るのだがな・・・。