心配だっただけなんだ

   

2019年5月7日(火)

オフクロの家にはテラスがあって、そこは雨雪がしのげてガラス戸で囲まれている。年中温かく、洗濯物を干したり、雪が降ってもお構いなしにいられる空間。

ある日、片目のシャム猫がやってきてオフクロと三姉妹がその猫を「シャム、シャム」と可愛がるようになった。それが子猫たちの母猫だ。

いつの間にかうしろを着いて歩くほどオフクロには懐いていたが、俺とカミサンとしては「お店やってるしなぁ・・・」とちょっとどう接してイイのかわからないままだった。シャムの方でも、俺達には近づいては来なかった。

それが子猫を生んでからは「とはいえ、子猫がいるんだから無責任な事はできないぞ」と、俺もカミサンも子猫についてワクチンやら食事やらを勉強したりするようになっていた。

シャムも子猫たちもオフクロのテラスでまぁまぁ快適そうに暮らしており、概ね平和な日々だった。

「触ってはイケない」と習ったので、シャムが散歩に出かけている時(子育て中もリフレッシュは大切だ)だけ、そっとお写真などを撮らせてもらい成長を見守っていた。今日も3匹がひっつきむしになっては、まるで「自分がイチバン上だ!」と競争しているようにゴロゴロと箱の中を動き回っていた。

「こりゃあそろそろ箱から出てきてしまいそうだな」と、カミサンと少し不安になってしまった。縁側にある箱から落ちてしまったら大変だし、もしテラスから外に出るようになったら、外にはカラスやイタチもいる。

そこで、もう少し大きな箱に入れ替えてやろうと、大きなダンボール箱でお部屋を作り、そこでシャムには3匹の子育てをしてもらおうと考えた。

それにしても俺は映画『ギフテッド』や『フロリダプロジェクト』から、いったい何を学んだというのだろうか。

あれほどボロボロになるまで泣かせてもらった2つの映画から「子供にとっての福祉とは、そしてその親にとっての福祉とは?」とずいぶん考えさせてもらったはずだったのに。

「これで暮らしやすくなるだろう」と、上から目線で大きめのダンボール箱に交換したその直後。

シャムは子猫を1匹だけ咥えて、シュッと縁側の下に消えて行った。あっという間の出来事で、もうどこにも見えない。

人間は全員顔面蒼白、家の周りを探したり名前を呼んだりするが、全然見つからない。

きっと子猫を守ろうと思ったんだろう。懐いているオフクロがした事ならば良かったのかもしれないが、俺とカミサンの浅知恵はどうやらシャムの子育ての「迷惑」に他ならなかった。

どうしようどうしようと、ひたすらオタオタしているとまたどこからかシャムがやってきて、また1匹咥えて連れて行った。周りを警戒し、威嚇するような感じでもあった。

残されたあと1匹はどうしたらイイのか。今度はしばらく待っていても、シャムは迎えにきてくれなかった。夜中まで待って、それでも迎えに来なかったらもう家の中にいれて、人間の手で育てた方がイイのか?それとももう少し待つべきなのか?

1時間ほどした頃にちゃんと迎えに来て、今度はどこか堂々とこちらの事も気にせず子猫を咥えた。そして4匹とも居なくなった。

「良かれと思って」でも、『ギフテッド』も『フロリダプロジェクト』も子育て支援のつもりが、それが当人たちにとっては大きな邪魔になる場合がある。多くは意思疎通に問題があると思うが、何より「福祉側の上から目線」が親子にとっては、なかでも特に「親」にとっては耐えられない事があるんだと思う。

相手は猫だが、立派な母親。そこへのリスペクトに欠けていたのが良くなかった。ただシャムよ、俺もカミサンも一応は「親」なんだ。子供を心配しての行為だったんだ。

でも、すまんかった。

どうか4匹とも無事でいてくれますように。


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