ニーチェいわく
2019年1月24日(木)
朝、あの三女に「朝よ〜!」と起こされる事態に。これはやらかしたか!と焦ったが全然まだまだ余裕な時間、おい〜なんだよ〜。
三女は三姉妹の中で「一番にお着替えが出来た!」それを自慢しに来ただけだった。パンが無かったので、おうどん(マスター作)とおむすび(カミサン作)を朝食にした。
朝はニュースは見ない。リビングのテレビは、娘たちが録画しておいたお気に入りのドラマやバラエティ。みんなでそれを観ながら朝食をとる。
以前は「もっと世の中の事を知っておく為にもニュースなどを観た方が良いのではないか」とか、なんなら「こんな訳のわからんモノを観て・・・」なんて、俺とした事が気づかぬうちに「あの頃のオッサン」な思考になっていたのだが。
結局は「感性が鈍っている」。小学生や中学生の頃だったら楽しめただろう事象を「俺が楽しめなくなった」だけで、娘らが面白い!と思っている事は、それはそれで正義である。だとしたら、俺がすべきは「どこを楽しいと感じているんだろうか?」との考察。ウチの店が目指すは「邑南町のファミリーレストラン」、キッズが喜んでもらえる店になるためにも三姉妹からの情報は軽んじてはならない。
そして、どうして朝から悲しいニュースを子どもたちに見せる必要があるのか?それはニュースの宿命であろうから仕方ないのだが、日々あまりに悲惨な出来事が多すぎる。コンビニから成人誌が消えるというニュースがあったが、「雑誌よりも現実の方がもっと悲惨じゃないか?」とも思う。無菌室で育てる気は無いけれど、小中学生にとっては知らんでイイような事件や事故もあるだろうと。
「そんなもん、テレビでするな!」なんて事はこれっぽっちも思っていない。キッズ達がそれを見て必要以上にココロを傷めなければイイけどと思うだけで、報道には報道のお仕事を全力で遂行していただきたい。
そこで「フィルタリング機能」として大人の仕事がある。ニュースばかりを責めたような事を書いてきたが、もちろんバラエティやドラマの方が(エンタメ的にも文学的にも)目も当てられないモノが圧倒的に多い。だからこんなモノ観るな!と自分から「あの頃のオッサン」になるという仕事が。
しかしだキッズ達よ。我々大人がこうやって悪戦苦闘しながらフィルタリングしている所をかいくぐり、下品で粗野で乱暴なコンテンツに触れていけ。それも君たちの成長の一つ、「大人の階段」だ。案外、君たちのパパやママもそんな感じで大人になっていったもんだ。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている。覗いているのは、大人の方か子供の方か?
夕方、パフェの練習をしました。向こうの方に、なにか見えるね。