めんどくさい、の利用法。
2018年12月27日(木)
ゆうべfacebookで「冷凍ピザ」のお知らせをしたところ、すぐにご予約が入った。ありがとうございました。
大掃除の準備をしながらその冷凍ピザの仕込みを頑張る。今日は最終営業だったから「一人忘年会」してやろうと思っていたけど、それどころではない時間になってしまった。やることは山ほどあるが、もう寝よう。
起きてからピザカードを作る。1万枚売れるのに7年かかったが、今見たら2年で5000枚のペースか。なかなかやるやんけ、喫茶店なのに。
営業はお休みなのだが、一家総出でバタバタしている。冷凍ピザも朝の9時から売れだした。
明日から大雪が降る。というのでカミサンと長女と次女は一日前倒しで宝塚に帰省。カミサン一人でロングランの運転、どうぞご無事で。
ちなみに三女は「ワタシはパパと一緒に行くわ。新幹線も乗ってみたいし!」というので居残り。まぁお前との新幹線も楽しそうだし、そりゃあそうしよう。
それからキッチンの大掃除スタート。色んなモノを外に運び出し、ゴシゴシ磨く。
「なんで大掃除っつーのは冬なのか。気温が低いから油汚れは落としづらいし、水がかかって寒いし・・・」とブツブツ言いながらラックやら棚板やらを洗う。
とにかく「めんどくさい」。
俺はずっと「めんどくさい」というのは呪詛だと思っており、この言葉を発したが最後、行動することの一切がイヤになる。そして呪詛はすぐに「免罪符」に格上げされ、「めんどくさい事はやらなくて良い」くらいに思っていた。
とは言え、最近はこの「めんどくさい」の本質とはなんなのか?と自分なりに考察してみた。
結論、「めんどくさいと感じた事」は即ち、「緊急性はないが絶対にやっておいた方が良い事」。人生で最も大事なゾーンにあるやるべきリスト。
簡単に「めんどくさい」で片付けてしまうがホントのところは「(わかってるけど)めんどくさい」「(そりゃそうした方が良いけど)めんどくさい」。やらなきゃいけないとわかっているからこその「めんどくさい」なんだな。
後回しにしがちな「緊急性はないが大切な事」。例えば子育ては大切だとわかっているけど、でも仕事しなくちゃ今月の実入りが・・・、とどうしても仕事を優先しがち。だから「これをなんとかする方法はないか?」と考える時間が非常に重要なのだが、「考える」という作業は非常に「めんどくさい」ので、つい緊急性のある「目の前の仕事」をしてしまう。俺はずっとそんな感じでやってきてしまった。
しかしそうなると、「めんどくさい」はむしろ道標である。迷った時は「めんどくさい事」をすれば、それこそが本質的で「大切な事」になる。上の例で言えば「一人で真剣に考える時間を作る」のがめんどくさいんだから、じゃあそれをするべきだ。
みたいな事ではないかと自分なりに発見しましたので、最近は「めんどくさい〜」と思った事は全てやるようにしています。
「めんどくさい」も全てが悪ではない。いや悪かもしれんが、それならこっちで利用してやるまでよ。
という事で、さっきまで次女のバレーボールチームの「親子バレー大会」に参加してきました。次女は帰省していないんだから「超めんどくせぇ」。でも、きっと大事な事なんだろう。他の父兄との関係とか、キッズ達へのイメージとか。
ちょっと今日こそ一人忘年会しようと思う。いや、もう眠い・・・。